好き家の長い文章置き場

長文投下マン@YOUCANFLYx3が更に長い文章を書く時に使う奴。主に観た映画とか読んだ本とかの感想

江角走輔は何故自分で料理しないのか

 

ゴーオンジャー観てる時中盤くらいまでちょっと引っ掛かってたところがあった。

 

飯マズ早輝の料理に愚痴ってる時や、連が忙しくしていて手が離せない時に連に食事を督促するシーンがよく発生するのだが、まぁ毎回思うよね。

 

 

「走輔、自分で料理すればいいのに」

 

 

 

その引っ掛かってたのが流れが変わったのが中盤

25話 母上サヨナラ

 

所謂連が自分の母親の回想を通して今のゴーオンジャーでの擬似家族に改めて感謝する回なんだけど、あれ観たら

 

 

ん〜連がオカンなら仕方ないかぁ〜!

で全部納得した。

 

 

それ以降は走輔がガキみたいに仲間達に甘えていてもまぁ連はオカンだしって気にも留めなくなったが、完走してからネットの海を漁っていたらある一つの仮定に辿り着いた。

 

 

 

 

 

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あっ(察し)

 

 

 

思い返してみればゴーオンジャーは連をオカン、時々大翔オトンに据えた擬似家族モノだけど、連や兄妹の家族の掘り下げがやたら濃い割に不自然なまで走輔の家族関係は言及されない。

私は社会人として独り立ちしてるんだし別に成人男性のバックボーン描写は一切なくてもいい派だけど仮面ライダーだったら無駄にぶっ叩かれてるね!(エグゼイドを眺めながら)

 

クリスマス回に一回幼少期の回想があったがあれもNISSANと本物のサンタさんとの思い出話だ。本物のサンタさんがちゃんといるとはなんて優しい世界の作品なんだ!ってマラソン中は思ってたらえっこれデリケートな話だったの。

 

 

唯これも作劇が上手いところがある。早輝の姉貴の存在だ。彼女は本人が降臨するまで皆は存在を知らなかった。

早輝の姉貴に関しては本人が話したくなかったのもあるだろうが、皆寝食を共にしてる人間の素性にさほど興味がないのである。話自体はクソ回だったけどな!

 

冷めている、というよりはそれはやはりゴーオンジャーのメンバーが「ゴーオンジャーになる前から正義の味方だった」という一点の曇りない心を持っていたからであって

お互いがお互いを過干渉せずとも信頼し合える心地いい関係なのだろう。

兄妹の「オンリーワンでいたい」の悩みを把握してるので打ち明けられた身の上話を厄介に思ってないだろう。いつもと違う些細な態度の変化に気づける人間もちゃんといる。

 

 

 

 

何か思ってたよりもデリケートな話になってきたぞ。まあメタ的なデリケートな障害を払拭しようとした結果何故か連に全てが降り掛かった形になってるよね。

 

 

連がオカンなのは1話から描写されていたのでその設定自体や初期の話はメタ的な役者の事情はあまり関係ないだろうが、作品を進めキャラクターを掘り下げていく上で発生するであろうメタ的な障害、というか遠慮(配慮というよりは遠慮が近いか)した結果があれなのだろうか。

相手は一年、いやそれ以上の付き合いになる人だ。そして脚本を書いた人間より年下の若い兄ちゃん。遠慮、というか単純に「現実で頑張ってんだから演技してる時くらいオカンにご飯作って貰ったっていいじゃん!」って気持ちにならない?同じ立場だったら私もそうする。

 

 

その結果香坂連は

母への祈りが届かず、辛い別れをして

母との思い出のお地蔵様を「正義の味方ゴーオンジャー」として自らの手で破壊して

過去との決別ではなく今ある家族と自らがゴーオンジャーのオカンとして生きていける事に改めて喜びを抱き実家を去る。

 

・・・そんな事情を露とも知らない走輔は連が作ってくれた料理をガキみたいに甘え散らかしながら食べるだけである。えっ何だこれすごい。

 

 

甘える対象が同世代の男性なのがまぁ自分の経験が必要ない土台に仕立て上げられてて、真面目に考えた結果が「連オカン」だとしたら見事というか、もう真面目に考えた結果なのかどうかが外野からは全く何もわからないこのクソ絶妙なバランスに仕上がってるのがすごくゴーオンジャーだなと。

少なくとも誰もが「連オカン」に対して少しの違和感や疑問すら抱くことがなく当たり前の様に受け入れてる世界は出来上がってる。

 

 

走輔がレッドだからこそのゴーオンジャー

連がブルーだからこそのゴーオンジャー 

周りの皆が仲間だからこそのゴーオンジャー

そういうのが感じ取れて素敵だなって。

 

 

・・・まあこれはあくまで大分曲解した解釈で、ここまで憶測で語りまくらないと辿り着けない結論なんだよね。それくらい作劇上では何の違和感もなく物語が展開するので、結論としてはあくまで脚本書いてる人間のバランス感覚が凄いなぁ!になるのである。真意は分からないけど、「何かわからんけどバランス感覚がやたら凄い」は見えてる情報だからね。

「メタ的な話の真実が外野からは全く何もわからない」は作品完成度の指標の一つだと思うので。実際がどうなのかはこの際大事じゃないし知らなくていい話なのよ。

 

 

 

 

そしてこれはゴーオンジャーvsゲキレンジャーにも繋がる。

 

 

そう、ジャンの誕生日の話だ。

 

親を知らないジャンは勿論自分の誕生日さえ「ない」のだ。そんな彼に奴はしれっと言う。

 

 

走輔「なら今日を誕生日にしたらどうだ?」

※追記※

この台詞自体は範人でした。

彼クリスマス回の話したけど飾り気なく凄い提案をサラッと言える子だからいいよね

 

 

 

す、すげえ・・・・

 

何て自己肯定感の強い奴なんだは勿論、VSを観る時点でこの記事を温めてた私はかなり衝撃の発言だったんですよこれ。

 

そのシチュエーションでその人に向かってその台詞をその人の口から言わせる?

 

でも「走輔は」そういう奴だからナチュラルにそういう事言う奴なんですよね。バ、バランス感覚〜!

 

 

実際に演じてる本人が何考えてるかは知らないけど何やったらこんな絶妙なバランスな物が書けるんだはマジで思ったんだよ。大人ってすげえんだなって。

 

実際にどういう意図で本書いた人間がこの台詞を走輔に言わせたか、言わされた人間がどんな思いでその台詞を口にしたのかは知らないけど、このやり取りで少なくともゲキレンジャーの強火のヲタクの何人かは「嗚呼、直近の後輩がコイツで良かった」って救われたところあるんじゃない?

 

いやだってゲキレンジャーのエンディングが「ジャンに誕生日が出来る」だよ?完全に一年頑張ったご褒美じゃん。本気出した大人はバランス感覚で人を救えるんだなぁ!

 

 

 

しょうもない疑問から大人ってすげえんだなって結論に発展した何の話だったっけこれ。兎に角大人ってすげえや!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

因みに石原軍平君も家族の掘り下げが一切なかったりするよ!軍平カッコ良すぎるぜ・・・!