好き家の長い文章置き場

長文投下マン@YOUCANFLYx3が更に長い文章を書く時に使う奴。主に観た映画とか読んだ本とかの感想

【ネタバレ】シン・ウルトラマンもうちょっと咀嚼

 

本編最中はジジイが好きなウルトラマンなんやなぁってフラットに観て、うーん画面はいいんだけどお話はウルトラマン好きの主張が前面に出すぎるのがわかりにくくなっちゃって何か微妙だなぁこの映画って感じでいた。でも、あれ?この映画めっちゃ凄くない?!!って確変入ったのはやっぱりエンドロールが始まってから。

 

 

エンドロール観てる時歌詞とか出てないから「何も知らずに未来を想う」の君が巨大な脅威と立ち向かって、やっとの思いで獲得した青空の下、地球も何処か宇宙の彼方へ行ってしまった友人もきっと明るい未来はあると信じてる禍特対の事で、

彼方へ行ってしまった「僕」が遥か遠い光の国よりももっと手の届かない黄泉の国へ行ってしまったウルトラマンの事だと思って。

彼方の字が彼岸と掛かってるのかなってね。でうわなんて悲しい歌詞なんだ!って滅茶苦茶くるものがあったんよね。

 

 

 

家帰って読み返したら「僕」じゃなくて「僕達」だった。じゃあ彼方へ行く方が禍特対で流石にそこまでお暗い歌詞じゃなかった。

 

 

 

だからエンドロール観てる時は

「痛みを知るただ一人であれ」

は禍特対の連中はウルトラマンが犠牲になった事知らない、友人を薄情にしてでもウルトラマンだけが別離の悲しみさえも痛みは全部抱えて独りで消えていったっていうすんごい悲しい解釈だったんですね。

 

 

で。

一晩明けて冷静になったんだけど

自己犠牲なんて流行ってねーから戻ってこいよ!無事でいてくれよな!って願ってる禍特対を汲み取って真実を胸の内に抱えて独りで消えてくウルトラマン、なんて悲しい話なんだって事になっているのは自己犠牲流行ってねーからしてるワイのフィルター通してるからであって、

人間が自己犠牲してるところを見てコイツら好きだなって思った奴が自分も自己犠牲して終わるのってソイツの主観だと唯のハッピーエンドなんじゃね?

アイツ、最期まで自己犠牲なんて流行ってねーから!を微塵も汲み取れてないんじゃね????

って気づいてしまったんですよ。

 

という大前提が崩壊してもう一度禍特対サイドを思い返してみたんだけど、

自己犠牲サイコー!ハッピーエンドだヒャッフー!してる神永"さん"対して、禍特対は神永が帰還して、真実はそうじゃないのに「神永"さん"が無事だった!皆無事だハッピーエンド!よかった!」って思ってる訳でしょ?

 

 

現実は全然そうじゃないのに真実を知らない当事者達はお互いうおーハッピーエンドだー!よかったー!!!!してるのを我々映画の観客は神の視点で眺めて心を痛めるしかない・・・ってコト!?すっごい無情なラストだね?!!!

 

で重要になってくるのが神永なんだけど、コイツ劇中の情報が子ども助けに行って巻き込まれて死にましただけなんよ。そっから先は意識があるんかないんかも一切不明。

神永はずっと見守ってたから観客と同じ痛みを感じた人かもしれないし、そうじゃない意識が飛んでたので一番何もわからない人かもしれない。実はウルトラマンと別れるまで意識があって神永"さん"の悲劇性を想っているのかもしれない。どれかわからないからどれもその観た人それぞれが人生経験や価値観で築き上げたフィルターを通して感じ取ったそれの一つひとつが正解なんだと思う。

 

だから極論エンドロールで「僕達」を聞き逃した時に感じた私のこの「痛み」も正解なんだろうし。

 

そう思うとすごいんよこの映画。観客の数だけ受け取り手の人生や価値観の数だけ「痛み」があるんよ。

 

 

で、

痛みを知るただ一人であれ。で映画は終わるのかぁ〜〜〜いやすごい映画だったわ。映画を観て「痛み」を知った一人になって、劇場を出た時映画を観る前ときっと何かが変わってる筈。私達もウルトラマン達を通して何か強くなれた筈。そんな「何か」全部に寄り添ってくれてるのかなって。

 

 

本編、庵野ウルトラマン好きすぎるだろ。主観入りまくりすぎて結局何が言いたいのかサッパリはいってこねーよ!してたのにウルトラマンに対してはフラットな視点の人が一曲提供してくれて超上手い事観客の混乱を棚卸ししてくれたって感じ。真っ暗な画面でスタッフロールをぼーっと眺めながら集中できる環境で米津玄師を味わってくのめっちゃ良かったし今まで映画観てきてあんまなかったパターンだな。いい映画だった。地上波で観たら駄目だなコレ。

 

 

 

って咀嚼とかいいつつ米津玄師の話しかしてねぇじゃねぇか!お米だけに!